2008年08月21日
全部自分のせい
私はわからないということにとても不安を感じます。
迷っているとき、自分自身が瞬間で決断できないときに自信をなくす感覚に襲われます。
今はそういうことがほとんどなくなってきましたが、少し前まではいつも不安な状態でした。
どのタイミングから私の不安が少なくなったかというと、失敗したくないという執着を捨てたときからだと思います。
今でも失敗したくはありませんし、むしろ失敗することで他人に迷惑をかけることが多いのでプレッシャーはあります。
でもいつもこう思っています。
「自分らしく生き、決断し、負けたとしても自分らしく死のう」と。
失敗したくなかったから自分自身の決断を信じれなかったし、自分自身の感性を信じられなかった。
もっと言えば自分自身で責任を取ることが怖かったのだと思います。
人のせいに、親のせいに、と思っている限り本当の自分の人生は歩けません。
生まれきた親さえ自分自身で決めてきたんだと信じて、自分で決めたことなら自分で責任を取っていこうと決めたときから、すべて自分のせいだと思えるようになり、よりテンポ早く成長できるようになったと思います。
私は当然まだまだ未熟者ですが、私の教える子供達に一番願うのは、自分らしく生きることがとても困難であり、またこれから過酷な状況を強いられるであろう世界の中で、自分自身の歩むべき道を見失わずに、自分らしく誇りを持って生きていって欲しいということです。
迷っているとき、自分自身が瞬間で決断できないときに自信をなくす感覚に襲われます。
今はそういうことがほとんどなくなってきましたが、少し前まではいつも不安な状態でした。
どのタイミングから私の不安が少なくなったかというと、失敗したくないという執着を捨てたときからだと思います。
今でも失敗したくはありませんし、むしろ失敗することで他人に迷惑をかけることが多いのでプレッシャーはあります。
でもいつもこう思っています。
「自分らしく生き、決断し、負けたとしても自分らしく死のう」と。
失敗したくなかったから自分自身の決断を信じれなかったし、自分自身の感性を信じられなかった。
もっと言えば自分自身で責任を取ることが怖かったのだと思います。
人のせいに、親のせいに、と思っている限り本当の自分の人生は歩けません。
生まれきた親さえ自分自身で決めてきたんだと信じて、自分で決めたことなら自分で責任を取っていこうと決めたときから、すべて自分のせいだと思えるようになり、よりテンポ早く成長できるようになったと思います。
私は当然まだまだ未熟者ですが、私の教える子供達に一番願うのは、自分らしく生きることがとても困難であり、またこれから過酷な状況を強いられるであろう世界の中で、自分自身の歩むべき道を見失わずに、自分らしく誇りを持って生きていって欲しいということです。